
「あ」は作れたのに「さ」が作れない ── 子音の正体(前編・摩擦音)
フォルマント合成の回 で、プログラムは「あー」と歌えるようになりました。ノコギリ波をバンドパスフィルタに通すだけで母音が出る、というのがあの回の話です。気をよくして、次は「さ」と言わせたくなります。「さしすせそ」が言えれば、しゃべりまで手が届きそうです。 ところが、これが作れません。母音マップのどこを探しても「さ」はいないのです。フィルタの設定をどういじっても、出てくるのは「あ」と「お」の中間のようなあいまいな母音ばかり。当然で、「さ」の頭に付いている子音 s は、母音と同じ道具では作れない、材料から違う音だからです。今回と次回の2回に分けて、この子音の正体を追いかけます。前編は「さ」の仲間、擦る子音の話です。 「あー」は状態、「さ」は出来事 まず、母音と子音が何がそんなに違うのかを、波形で見てしまいます。 「あーーー」と伸ばした声は、上の段のように同じ形の波が延々と続きます。息の続くかぎり何秒でも伸ばせて、どの瞬間を切り出しても同じ形。つまり母音とは、口の形(フォルマント)を保てば維持できる定常状態です。フォルマント合成 がやったのは、この状態をひとつ作ることでした。 一方「さ」と言った声の波形が下の段です。前半にはギザギザのでたらめな波、つまりノイズが入っていて、後半で周期的な波に切り替わります。この前半のノイズこそが子音 s の正体で、「さ」という音は、ノイズから声への乗り換えという順番そのものなのです。音というより、始まりと終わりのある小さな出来事と言ったほうが近い。母音を作る道具が「状態を保つ」道具だったのに対して、子音づくりには「時間を設計する」発想が要ります。 音源そのものがノイズになる では前半のノイズは、体のどこで生まれているのでしょうか。「すーーー」と s の音だけを伸ばしてみると分かります。このとき、のどに指を当てても震えていません。声帯は完全に止まっています。鳴っているのは、舌先を歯ぐきのすぐ裏に近づけて作った狭い隙間を、息が無理やり通り抜けるときの音です。狭いところを速い流れが通ると、流れが乱れて渦になり、シャーッという広い帯域のノイズが生まれます。蛇口を強くひねったときの水音や、風がすき間で鳴るのと同じ、乱流の音です。 このように、隙間の乱流を音源にする子音を摩擦音と呼びます。さ行の s、「し」の子音、は行の h、英語の f や th も仲間です。母音のときの声帯ブザーが「ブー」という周期的な音源だったのに対して、摩擦音では音源そのものがノイズに置き換わっている。source-filter モデル(音源×口の形のフィルタ、という声のとらえ方)の枠組みはそのままで、source の側が全とっかえになるわけです。 これはプログラムを書く側には朗報でもあります。ノイズなら簡単に作れるからです。毎サンプル、乱数を出力するだけで白色ノイズ、つまり全帯域が均等に入った「ザーッ」が手に入ります。あとは母音のときと同じように、フィルタで成形すればいい。実際、フォルマント合成の回 で「ささやき声でも母音が聞き分けられる」という話をしましたが、ささやき声とはまさに、声帯のブザーを息のノイズに差し替えた声のことでした。 s と sh を分けるのは、山の位置 同じ擦る音でも、「さ」の s と「し」の sh は明らかに違って聞こえます。s は鋭く高い「スー」、sh は少しこもった「シュー」。この違いは、ノイズのスペクトル(周波数ごとの成分の一覧)のどこにエネルギーの山があるかの違いです。 s は舌先と歯ぐきの間のせまい隙間で擦るので、山が高い周波数(おおよそ5〜8kHz)にできます。sh は隙間が少し奥に下がってやや広くなるぶん、山が低いほう(2〜4kHzあたり)へ降りてきます。口笛で口をすぼめると音程が変わるのと似て、擦る場所と隙間の広さが、ノイズの色を決めるのです。そして「ふ」の f や「はー」の h のように隙間がゆるい子音になると、山はぼやけて、弱く平らな息の音になります。 つまり摩擦音づくりとは、白色ノイズをバンドパスフィルタ(指定した帯域だけを通すフィルタ)に通して、山をどこに立てるかを選ぶ作業です。フィルタの回 では音の明るさを削って作りましたが、今回は削って子音を作る。中心周波数のつまみひとつで、s が sh になり、f になります。 もうひとつ、おまけのような一手があります。「すー」と擦りながら声帯も鳴らすと「ずー」になります。ノイズに声帯のブザーを重ねただけで、s は z に、「し」の子音は「じ」の子音に変わる。有声摩擦音と呼ばれる仲間で、部品としては「ノイズ+ブザー」の足し算です。 触ってみる ここまでの話をそのまま触れるデモを用意しました。鳴っているのはいつも同じ白色ノイズで、フィルタの「山の位置」と「山の鋭さ」だけを動かせます。プリセットの s から sh へ、鳴らしたままスライダーを下ろしていくと、「スー」が「シュー」に化けていく途中も聴けます。有声化ボタンで声帯のブザーを重ねれば z の「ズー」に。下の段では、成形したノイズを母音 とつないで「さ・し・す・ず」と音節にしています。 うまく表示されないときは、デモを別タブで開く 。 ...




